ゆれる

監督の悪夢を映像にしたというこの作品。内容的には恐ろしい。
真実とは何かということ。そして兄弟を売るという行為。自分にも弟がいるだけに結構考えさせられた。


弟は一番身近な他人であるというのは当たり前のことであって、趣向も違えば、性格も違う。つながりは同じ性を持ち、長年一緒に暮らしてきたということだけ。
そういった兄弟という関係のどこに絆があるんだろう。そんなことを考えた。
けれど明確な答えはでない。「絆」とかいう抽象的なものを考えているのだから当たり前のことなのかもしれないが。
ただ、家族という括りはやはり不思議な感じがする。「絆」について論理的で明確な解を導き出せなくても、どんな時でも家族だけは信頼を置くことができるし、わかってもらえてるという感覚は確実に存在する。それが不思議。


真実についても判断は難しい。目に見えているものは真実なのだろうし、自分が信じるものが真実なのだろう。だけれども、真実と事実は違うんだろうなと。
客観的と主観的。この二元論だけで分断するのはあまりに稚拙な感じはするが、事実はそこで起こった何かであって、真実とは客観的視点が組み込まれる可能性がある。
特に、裁判などで証言を行う場合、真実だという証言をもとに判決を導き出すのだろうが、果たしてそれが本当のモノなのだろうか。


といった答えの出ないことをとりとめも無く考えてみた。
多分、映像が断片的なものの組み合わせ、というかシチュエーションがブラブラいったりきたりして一つの作品となっていたと感じたことから、こんな分裂的考えをしてしまったんだろう。
あ、そういった意味でも「ゆれてる」俺。なんちって。