つまり死ぬということ

人と会う約束をしているのにも関わらず、晩飯を食うという約束をしているにも関わらず、時間に遅れた挙げ句、飯まで食ってきているというのはどういうこと?


やんごとなき理由があるにしろ、事前に一言声をかけるのが筋ってもんではないか?


気が知れない。


人としてどうか。


許せん。


久し振りの爆発。


こういう時、バイクがあるということが苛立った気持ちをやわらげるのにとても役立ってくれる。


金曜日の夜、街は車だらけ。
そんな中、できる限りの力で持って走り抜ける。気持ちよい。


バイクという乗り物、常に死と隣り合わせである。
その中でいかに自分の限界に向かっていけるか。その中でいかにイメージを膨らますか。その中でいかに路上に溢れてるリスクを予期し把握できるか。
この、スリルを楽しみ狂喜する心とリスクを摘み取る冷静な目、両方を持ち合わせるだけのバランス感覚。


勿論、何を把握するにも限界は存在する。思いもよらないことが起こるかもしれない。実際に事故で内臓をいためたこともある。

今日も単にラッキーなだけだろう。だけどこういう走りをしなければならない、というよりもしてしまう時は確実にある。
頭がおかしいと思う人がいるかもしれない。迷惑だと思う人もいるかもしれない。


だが、しょうがないのだ。死や事故にまで頭が回らないときはある。


なんてね。家に帰ってきてから猛省しました。
後悔先に立たず。こんな走り方しているとどんな目に合うかわかったもんじゃない。